82年生まれのキム・ジヨン を読んで

2020年、今年に映画化され、話題となった小説。

韓国のフェミニズムに対する小説。

 

とてもリアルな現状を書いている作品だと思う。

大学をでたけど、就職先が見つからない。

やっと就職できたけど、同期入社の男性社員とは任される仕事も、給料の優遇も違う。

疑問に思うけど、他も同じだから、結局その会社に残る。

好きな人ができて、結婚して子供ができると、今までの働き方はできないから、結局退職するしかない。

多くの女性がこの経路を辿るため、雇う側もいくら意欲があってもまた同じ結果になるだろうと思わざるを得ない。

最悪の悪循環である。

 

本文に

「法律や制度が価値観を変えるのか、価値観が法律や制度を牽引するのか」

とあるが、今私が抱いている疑問そのままだった。

日本も法律制度が整い、有給を所得権利や、男性が育休を所得権利がある。けど、多くの人は利用しない。ただ、あるだけの制度で大きな影響はないように思える。

韓国は日本と近く、文化や習慣、考え方が似ていると思った。それでも、韓国の方が日本より根深い気がした。

 

この本を読んで、つくづく、男の人の考え方が変わらないと世の中を変えるのは難しいと思った。

その男の子を育てているのは女性。とても滑稽な話のように思える。

ただ、キムジヨンの母親のように、自分が違和感を感じたことに対して、繰り返さないことが大切だと思う。

 

この本のいいところは、これだけリアルな現実を多くの人が手に取り、共感していること。

一人でも多くの人に辛い現状に目を向け、共感する仲間を見つけてほしい。

 

 

棄国子女を読んで

印象に残った言葉

・日々の営みは世界中どこでも変わらない。非日常が日常になり、退屈が始まる。

・無いものに不満を抱くより、あるものに感謝する。

・他人と違うことやお上から与えられたものに疑問を抱くことさえ、この国(日本)では全部悪いことなのだ。

スペイン語にはBE動詞がふたつある。基本的にSERは時間が経っても変わらない性質・状態を表し、ESTERは時間経つと変化する性質・状態を表す。「私は悲しい」はestoy tristeとなり、ESTERの活用形を使う。これは、今悲しいけれども明日は悲しくなくなるだろうという希望を表しているのだと思う。「私は幸せだ」はsoy felizとなりSERの活用形を使う。これには、人というものは普遍的にずっと幸せであるべきだという祈りがこめられているのだと思う。

・(ラテンアメリカ)彼らは食べる分だけ稼いだら、もうそれ以上働かないのだ。

・討論したり、当然の権利を行使したりすることが、日本人は極めて不得意だ。なぜなら学校でそれらを教えていないからだ。子供を従順な労働者に仕立てることが、この社会における学校の役割なのである。

 

 

この本を読んで、いま私が直面している日本への働き過ぎの疑問、そしてもう一度海外に住みたいという願望について考えさせられる。

日本には20年以上住んできて、外からみると日本人として生まれてきたことに感謝し、日本でもう一度がんばろう、私は変わったから、私と同じ考え方と人と出会えるだろうと期待して現在和歌山にいる。

が、住んで3ヶ月。できた友達はアイルランド人とフィリピン人。彼らと話しているときが一番楽しいし、共感できる。旅の話をしたり、違う国の価値観、文化の話をしたりする。日本人の友達を作るのは難しいのかな?

日本に帰ってくると、正社員にならなければならない。と思ってしまう自分。

周りを気にしなければいけないと思う自分。

誰にも誘われなかったら、孤独感を感じて、自分の存在意義を考えてしまう。

日本で育ってきた分、自分のこうであらなければならないという枠から抜け出すことが難しい。

海外にいれば、自分はよそ者だから、知らなくてもいい、理解できないふりもできた。

生活するためだけのお金を稼ぎ、自由な時間がたくさんあった。

また、リサイクルやゴミや資源に対する考え方もフランスと全然違い、苛立ちもやもやがある。プラスチックを過剰に使っていたり、分別をしていなかったり。無駄遣いが多いように感じる。

そしてなにより一番は働き過ぎ。働くことが当たり前で、働いていない人は落ちこぼれという雰囲気がある。(私が育ってきた環境はそうであり、自分がそこからなかなか抜け出せない。)私の夢は国際救援だけど、犠牲の上に叶えるものは夢では無い、と言われ、その通りだと思った。今の働き方では、国際救援に行く前に自分が過労死すると思う。それに犠牲にしなくても叶えられる夢だと思う。方法はたくさんある。

自分が感じたことを伝えて、自分がいる周りだけでも変わればいいと思っていた。変えられるとも思った。が、やはり大きい組織に入ると不可能であるし、ものすごく時間がかかることがわかった。人を変えることはできない。自分が変わって、自分に合う環境を探すことに、その環境で生きてく努力をした方がいいと思った。

貧しい国ではなく豊かな国に生まれたからこそ選択しよう。と言われた。

その通りだと思う。

 

という思いで今は海外に住みたい気持ちが強い。が、海外でも同じなのではないかという不安がある。たった1年、ワーキングホリデーという期間付きでいったから、楽しかった。けど、もし長く住むとなると非日常が日常になり、日本で感じてたことを感じだすのではないかと思う。文化や価値観の違い、仕事がない不安などに迫られるのではないか。けど、やってみないとわからないと思う自分もいる。

ただ、わかるのはここに居ても何も変わらないし、自分と同じ価値観を持っている人とは出会えない。

 

日本はおかしい。

単一民族だから、みんな同じで当たり前、少し違う氣がおかしくなった人扱い。

ブラジルや他国のようにいろいろな人種がいて当たり前の国に住みたい。

すべてを受け入れていくれる場所にいきたい。

そのためには、自分が何ができるか、何をしたいのか見つけ無いといけない。

 

 

10月24日スピーチコンテスト近畿ブロック

海外にいき、男女の社会的格差に対し意識が変わった私は、和歌山県にある男女共同参画機構に連絡を取り、そこにあるeカンパニーというNPO法人の人と話す機会が8月にあった。その関係でBPWが行うヤングスピーチコンテストに参加することになった。

それが昨日。香川までいき、近畿ブロックの代表決め。と言っても近畿ブロックの出場者は香川から3人と私だけ。他の県は、人が居ないらしい。

発表当日の1ヶ月前ぐらいから原稿を書き、2週間前からスピーチの練習、BPW和歌山の人に3回付き合っていただき、5分間のスピーチが完成した。

 

本番はとても緊張して、胃と胸が口から出るかと思った。

けど、周りもみんな緊張しているようで、おとなしそうな方達だった。

順番はあいうえお順で一番最後。他の人の話をちゃんと聞く余裕がないかなと思っていた。けど、私の今回の一番の楽しみは同じ思いをもった同年代の日本の女性の話を聞きたい、だったので聞くことに集中した。

みんないろいろな思いを持って仕事をしているのはわかったけど、男女のことについて話す人はいない。あと自信がなく声が小さく聞こえた。

私が発表する際は、はきはき、ゆっくりと、というのを意識してスピーチをした。けど、緊張で声が震え、覚えた原稿もちゃんと言えたか記憶がなかった。

ただ、練習に付き合ってくれた人たちの顔を見て、最後にグーサインをくれたので、大丈夫だったんだなと思った。

終わったあと、開放感と充実感があった。以前読んだ「一瞬の風になれ」で主人公が短距離を走る描写、そのあとの達成感の感じを思い出して、短距離を走る人はこの気持ちを味わうのが快感なのかなと想像しながら、私もとても気持ちがよかった。結果がどうあれ、自分の思いを聞いてもらえる機会、最後までやりきりとてもいいなあと思っていた。

結果は、最優秀賞をもらい全国大会に出場するらしい。

全国から集まる女性がどんな思いがあるのが聞くのが楽しみ!

スピーチコンテストのあと女性議員のトークイベントがあり、私が常々疑問である「なぜ若い女性は男女の格差に対し無関心なのか」ということを聞いてみた。

すると、日本は制度が昔と比べ充実しており、もう平等だと思っている人が多いからという回答があった。

ここで、また私は「知らないことの幸せ」、を思い出した。

あたしはヨーロッパや他の国の恵まれた制度を知ってしまったから、日本はまだまだだと思い、落ち込んでいた。けど日本しか知らない人はそれが幸せなら、それでいいんじゃないかと思った。無理やり変えることはできない。根気強くやるにはあまりにも、同じような考え方の人が少ない。変えたくない人に立ち向かうほど私は強くないし、戦う気力がない。

男女の格差の前に、仕事のしすぎ、労働者を守る法律が乏しいと感じる(有給が義務じゃなかったり、雇用形態によって保証内容の差が大きい)

私が働いているところは、少なくとも経営のことを考え、労働環境は最悪で、スピーチしたこととほど遠いと思った。

自分の仕事での夢とどういった生活がしたいかがかけ離れている。

夢を叶える前に、過労死、ストレスでいい生活が保てないと思う。

夢を諦め、生活をとるか、夢を変えるか。

今の働き方が自分に合っていない。それだけは確実に言える。

今の働き方を10年続けると思おうとぞっとするし、続けたいと思わない。

自分が50 代になったときにどういった生活をしていたいか想像して、今の生き方を選択する。となるとやはり、、、、、、

さて、これからどうするか。

働き方

5月に日本に帰ってきて、もう一度国際救援を目指すことに決めた。

今はパートだけど、もうすぐ正社員になりそうだ。

ただ、働きすぎという気持ちが強くなってきている。

休みが取れない。1ヶ月に希望休が3日までしか取れない。それは土日と組み合わせても最高5日しか連休が取れないということで、毎日月曜から金曜、朝から晩まで8時間勤務して、1年に長期休暇が取れない。そんな人生があっていいのだろうか?

国際救援にいったとしても、帰ってきたらまた日々の業務に終われ休む暇がない。

また今の院長は夢ある若者を潰し、経営のことしか考えていない。

いくら頑張って働いて、自分の夢を追いかけても、働きすぎたら元も子もない。

また日本の空気はやはり自分には合っていない。

音楽も少ないし、友達と会うという文化が全く違う。

騒音がうるさくて、酔っ払いに疲れて、静かに暮らしたい人には日本はぴったりだと思う。プライベートもすごく重視されるし、とても静かに過ごせると思う。

けど私は、自分がパーティの中に居なかったとしても、そういったことで楽しんでいる人間をみていたい。日本は本当につまらない。

理想は半年海外、半年日本。

半年国際救援で海外に滞在、半年生活のために日本でゆっくりと働く。

今まで海外にいき、今はボランティアとしてアフリカまたは中南米発展途上国にいきたいという思いが強いため、働きすぎず、それを叶えててもいいのではという思いもある。

職業にこだわらず、海外で思った生活をするのもありというのが今の心境。

働いてたった3ヶ月でこの思い.......

 

さてこれからどんな気持ちの変化があるだろうか...?

 

 

自分を否定する正体。

ある時から、すべてのことに対してプラスに考えた方が楽しいと思い、後悔や失敗があってもプラスに考えるようにしていた。

が、周りから、自分をダメとか、否定する発言はやめた方がいいと言われることが多くなり、あれ?と思った。

自分では何事も前向きに捉えるようにしているつもりが、人と話していると無意識に自分を否定しているらしい。

そこでなぜ自分を否定する発言をするか考えてみた。

それは、周りに自分を褒めてほしいからだということに気がついた。私は褒められて伸びるタイプだ。だから、自分を否定することで、周りに「そんなことないよ。すごくがんばってるよ」と言って欲しいのだ。

それが、無意識に癖として自分が発言していることにぞっとした。

マイナスで否定的な言葉をつかわず、常に前向きなプラスな言葉を選んで発言できるよう訓練していこうと思う。

・だめ

・できない

・無理

・あかん

という発言はしない。

 

少しずつ変わっていこう。

嫌な人は避けたい

昔は嫌な人や怖い人、厳しい人には立ち向かい、認められるように頑張っている自分がいた。

けど今は、新人に対してだけ厳しい人や、頭ごなしや理不尽に注意してくる人とは一緒の空間に居る必要はない。避けれるのであれば、避けて関わらなくていい。関わりたくないと思う。嫌な人と一緒にいるだけでストレスになるし、時間の無駄だと思う。

人によって対応が明らかに変わる人とは本当に一緒に居たくない。

誰に徳があるのかわからない。なぜ、あのような態度をとるのかも不明だ。

今後苦手な人は徹底的に避けようと思う。

自分を好きになってくれる人だけ周りに居たらいいし、これから出会う人で私を嫌う人は、私の人生に必要のなかった人なんだ。

人生は、幸せと思ったもん勝ち。自分に正直に、自分がワクワクすること、楽しいと思うことを大切に過ごして行こうと思う。

 

2020/9/6

1ヶ月経って

今日で仕事を初めて1ヶ月経ちました。

まだまだこれからという感じで、できることは初日に比べて増えたけれど、スタッフの人になれたり、システムに慣れたりするのはまだまだこれからという感じです。

 

業務忙しすぎて、上の人となかなか話ができないことに不安を感じる。

また、休みが取れない。

これからもっとできることが増えていくと、やったことがなくても任されることが増えていくのではないか、そうなったときに自分から発信していかないと危ないと思った。

人と話していて気づいたことは、自分は手術室での国際救援というより、感染対策や熱帯医学での保健指導に興味があることを再確認した。

今は手術室で経験を積んでいるけれど、早めにICUまたは救急病棟に行きたいと思う。

 

今はまず慣れること。