棄国子女を読んで

印象に残った言葉

・日々の営みは世界中どこでも変わらない。非日常が日常になり、退屈が始まる。

・無いものに不満を抱くより、あるものに感謝する。

・他人と違うことやお上から与えられたものに疑問を抱くことさえ、この国(日本)では全部悪いことなのだ。

スペイン語にはBE動詞がふたつある。基本的にSERは時間が経っても変わらない性質・状態を表し、ESTERは時間経つと変化する性質・状態を表す。「私は悲しい」はestoy tristeとなり、ESTERの活用形を使う。これは、今悲しいけれども明日は悲しくなくなるだろうという希望を表しているのだと思う。「私は幸せだ」はsoy felizとなりSERの活用形を使う。これには、人というものは普遍的にずっと幸せであるべきだという祈りがこめられているのだと思う。

・(ラテンアメリカ)彼らは食べる分だけ稼いだら、もうそれ以上働かないのだ。

・討論したり、当然の権利を行使したりすることが、日本人は極めて不得意だ。なぜなら学校でそれらを教えていないからだ。子供を従順な労働者に仕立てることが、この社会における学校の役割なのである。

 

 

この本を読んで、いま私が直面している日本への働き過ぎの疑問、そしてもう一度海外に住みたいという願望について考えさせられる。

日本には20年以上住んできて、外からみると日本人として生まれてきたことに感謝し、日本でもう一度がんばろう、私は変わったから、私と同じ考え方と人と出会えるだろうと期待して現在和歌山にいる。

が、住んで3ヶ月。できた友達はアイルランド人とフィリピン人。彼らと話しているときが一番楽しいし、共感できる。旅の話をしたり、違う国の価値観、文化の話をしたりする。日本人の友達を作るのは難しいのかな?

日本に帰ってくると、正社員にならなければならない。と思ってしまう自分。

周りを気にしなければいけないと思う自分。

誰にも誘われなかったら、孤独感を感じて、自分の存在意義を考えてしまう。

日本で育ってきた分、自分のこうであらなければならないという枠から抜け出すことが難しい。

海外にいれば、自分はよそ者だから、知らなくてもいい、理解できないふりもできた。

生活するためだけのお金を稼ぎ、自由な時間がたくさんあった。

また、リサイクルやゴミや資源に対する考え方もフランスと全然違い、苛立ちもやもやがある。プラスチックを過剰に使っていたり、分別をしていなかったり。無駄遣いが多いように感じる。

そしてなにより一番は働き過ぎ。働くことが当たり前で、働いていない人は落ちこぼれという雰囲気がある。(私が育ってきた環境はそうであり、自分がそこからなかなか抜け出せない。)私の夢は国際救援だけど、犠牲の上に叶えるものは夢では無い、と言われ、その通りだと思った。今の働き方では、国際救援に行く前に自分が過労死すると思う。それに犠牲にしなくても叶えられる夢だと思う。方法はたくさんある。

自分が感じたことを伝えて、自分がいる周りだけでも変わればいいと思っていた。変えられるとも思った。が、やはり大きい組織に入ると不可能であるし、ものすごく時間がかかることがわかった。人を変えることはできない。自分が変わって、自分に合う環境を探すことに、その環境で生きてく努力をした方がいいと思った。

貧しい国ではなく豊かな国に生まれたからこそ選択しよう。と言われた。

その通りだと思う。

 

という思いで今は海外に住みたい気持ちが強い。が、海外でも同じなのではないかという不安がある。たった1年、ワーキングホリデーという期間付きでいったから、楽しかった。けど、もし長く住むとなると非日常が日常になり、日本で感じてたことを感じだすのではないかと思う。文化や価値観の違い、仕事がない不安などに迫られるのではないか。けど、やってみないとわからないと思う自分もいる。

ただ、わかるのはここに居ても何も変わらないし、自分と同じ価値観を持っている人とは出会えない。

 

日本はおかしい。

単一民族だから、みんな同じで当たり前、少し違う氣がおかしくなった人扱い。

ブラジルや他国のようにいろいろな人種がいて当たり前の国に住みたい。

すべてを受け入れていくれる場所にいきたい。

そのためには、自分が何ができるか、何をしたいのか見つけ無いといけない。