3週目

仕事を始めて3週目。

なんとなく流れもわかってきて、思ったより昔のことを覚えていて、自分でやりたい反面、任されることへの恐怖心がある。

とくに今年4月から社会人になった人とペアになると辛い。

若い人はまだ自信がなくて、行動や歩き方ですぐわかる。

新卒と2人きりになる可能性を減らすため、師長に直談判した。

普段年上の人と話す時、緊張したりすることはないのに、職場の人と話すとすごく気を使う。変に気を使って、自分がどう思ってるのか100%で伝えられない。相手をすごく評価したり、自分を過小評価したり。こういったことを徐々に減らして、言いたいこと、自分が伝えたいことをちゃんと伝えられる人間になりたい。

 

またこの3週間同僚と話すと、ちらほらと給料の話が飛び交う。

お金は大事だと。

そんなにお金は大事なのかな?少し金持ちになった所で、そんなに劇的に変化するのかな?働かなくてもいいくらい稼げるのであればまだしろ。組織に勤めている限り、結局お金があっても生活は変わらないと私は思う。

欲しいものはお金がなくても手に入れるだろうし、お金があっても買わない人は買わないと思う。

それで、男の方がお金が大事なのではないかという発言をしてしまった。

男の方が、誰かを養わないといけないという風に教育されているから、女の人より稼がないとという認識があると思ってこの発言をした。

ジェンダーを勉強しているのに、男はこう、女はこう。という話し方をしてしまう。

別に女の人が稼ぎたいと思っても当たり前のことなのに。

男女が同じ考え方を持つことが当たり前ということを伝えたいと思っているからこそ、こういった発言はしてはいけない。

まだ自分の根本に男女を区別した考え方を持っている。

 

少しずつ、焦らずに。

 

再出発

フランスに行く前に、少し看護師として病院で夜間バイトをした。

やっぱりちゃんと経験を積みたいという思いになった。

もし海外で何も見つからなかったらまた一から国際救援を目指そうと思い、フランスに旅だった。

フランスはとても大好きで本当に住みたいと思った。ただ何をしたいかを考えた時に、日本食レストランや日本語教師、翻訳を一生の仕事にしたいかということに疑問が残った。やっぱり看護師としてという思いが強かった。

予定通り中南米に行って、2021年4月から看護師として就職かと思っていたら、COVID-19直撃。もともと日本に帰る予定だったので、1ヶ月コロンビアでの自粛生活を得て、帰国、看護師としての職探しを始めた。

フランスに行く前に、なんとなく思っていた病院に問い合わせ、見学。

正直ブランクもあり、経験も少ない私をとってくれる病院があるのか不安が強かった。

が、看護部は人員不足のため、とてもウェルカムだった。

見学の次の日に採用試験を受けさせてもらえることになり、病院は人員不足だから看護部の雰囲気からもまあ大丈夫だろうと思っていた。

面接当日、院長に「こんなに短期間であちらこちらに行って、あなたは何がしたいかわからない。またすぐに海外にいくのでしょう」と言われ、不採用。看護部長の方から直接電話をもらい、パートでやってみないかと言われた。

正直めちゃくちゃ悩んだ。

病院はここだけではないし、自分を必要としてくれる場所で働きたい。看護師にこのまま戻っていいのか、旅を理解してくれない院長の方針の病院で働いて本当に自分がしたいことが将来できるのか?

ただ、いい面としては労働時間が短い。日本で2年以上働いていなかったので、日本社会に馴染めるか不安だったので、肩慣らしとしては丁度いいのではないか、嫌になったらすぐに辞められる環境ではある。

あと地方の総合病院で中途採用しているとことが少なかったこと、とりあえずやってみてダメだったら次考えようという思いでパートを受け入れた。

 

働き出して2週間。

病院の人員不足は明らか。こんな状況でなぜ正規で雇ってくれなかったのか、院長に怒りを覚える反面、時短で早く帰れるので身体的にはとてもありがたい。

これからどうなるのか、無事この病院で国際救援を目指せるのか、今後が楽しみ。

私の5年間

私の経緯。

いつ頃からか、海外、特にアフリカの生活に興味を持つ。

中学時代に救援の仕事を知り、救援として海外に行くには看護師が一番手っ取り早く、確実だと思い、看護師になることを決意。

国際救援がある赤十字看護専門学校を受験し、合格。卒業後そのまま就職。

3年の看護師経験後、外国に住んでみたい、英語を話せるようになりたいという思いが強く、海外留学することを決心する。それと同時に赤十字で国際救援を目指すのはとても長い道のりであることを痛感、、最低5年の臨床、指導者・管理職での派遣であること。選ばれた優秀な人間しかいけないと感じる。

真面目な私は、語学学習のために渡航を決意。金銭的にワーキングホリデーがいいと思い、この制度での最長である半年間は語学学校に通わないと英語力が身につかないと思い、エージェントを通し日本にいる間に半年間の語学学校を申し込む。

これがのちのちとても後悔する。学校も現地に行ってから決めればよかったし、300万貯めてカナダに行くが、ワーホリ制度だとそこまでお金を貯めて行く必要がないことを知る。学校に関しては半年在学しても、クラスが2ヶ月は同じレベルにいないといけなかったので、3ヶ月目からは英語のレベル的に変わらず、お金を無駄にした感じだった。ただ、半年在学したおかげで出会えた友達がいるので、そこは感謝している。また、はじめに住んだ場所がモントリオールというカナダのフランス語圏だが、英語を話す人がほとんどという不思議な場所を選んだおかげで、言語に対する考え方が激変した。以前は英語を話せる人は尊敬の眼差しで見ていたが、モントリオールでは最低でも英語とフランス語を話せるのが当たり前の世界なので、自分の視野がいかに狭かったか思い知らされた。

はじめ、モントリオールを選んだ行きさつとして、あわよくば2ヶ国語習得を目論んでいたが、もちろん英語だけでいっぱいいっぱいとなり半年間のモントリオール生活を終える。

もともとスキーが好きで、カナダを選んだ理由のひとつとしてスキー場で働きたかったので、面接を受けるとレイクルイーズのスキー場で仕事が決まり、11月よりそちらに移り住む。自分の英語力ではまったくネイティヴの会話についていけないことを痛感する。未成年にお酒を売ってしまったことをきっかけに仕事をクビになりカナダに残れないのではないかとどん底に突き落とされる。

が、この出来事があたしの人生を大きく変える!!

クリスマスの日に仕事をクビになり、他の仕事を探すも、オーナー達はみんなクリスマス休暇。なかなか見つからず年明けから少し離れたレイクルイーズよりも街になっているバンフで仕事を探し始めるとすぐにホテルのハウスキーピングの仕事が見つかる。

ここでの出会いが自分の価値観を大きく変える。同じ部屋のチリ人、ほぼ毎日一緒に働いた中国人、毎日飲み歩いて働かずに生きているフランス人。旅してみたい、自分の足で行きたい国に行けるのではないかと思えた。仕事や勉強だけが人生じゃないことを知った。

カナダを出発した後、ずっと行きたかったマチュピチュへ!また、ブラジル、メキシコとモントリオール時代友達になった人を伝って旅をした。働くことが人生じゃない、旅は素晴らしいと教えてくれたフランス人に会いにフランスへ。

この時からもっといろいろな国に行ってみたい、フランス語、スペイン語も話せるようになりたいと思うようになった。あと、自分の国、日本のことももっと知りたいし、自分のルーツや日本文化の素晴らしさにも気づいた。

もともとカナダへ行った最初の目的としては国際救援に行くための英語習得。それがいろいろな出会いがあり、自分の価値観が変化し、人生をどう楽しむか、人生についていろいろ考えた。自分の人生一度きり楽しまないと損!

ただ、国際救援行くには看護師としての経験もいる。

もう一度海外に行きたい気持ちはあるけれど、もし行くとブランクがすごいことに、、、雇ってくれる病院がないかもしれない。いろんな不安を抱えながら日本を旅して、出会った人にもらった本「アルケミスト」に出会い、今行かないと絶対後悔すると思い、フランスにワーキングホリデー、その後スペイン語習得のため、南米に行くことを決意する。それと同時に、もし海外で国際救援以上にやりたいことが見つからなかったら、また日本で看護師と働こうと決意する。

フランスでの生活は今が人生の絶頂と思えるほど楽しかった!以前から聞き込みをしてTolouse という街に住みたいと思っていて、家は旅で出会った人の紹介で最高の仲間、物件!仕事も幸運にもすぐに見つかり、フランス語クラスもボランティアで教えてくれるところを見つけて、すべて順調。カナダや旅の経験があり、どうやって生きていけるかいろいろ活かせた結果だと思う。

楽しさのあまり当初予定していたより若干長く滞在し、3ヶ月夢のヨーロッパの旅へ!

旅を長く続けると計画をすること、たくさんの場所に行くことに追われて疲れてしまうので、その日やることはその日決めるスタンスで、移動はヒッチハイク、宿はカウチサーヒィン、たまにworkawayも使いながら、一番節約できた旅になったと思う。ただヨーロッパは広いのに、ビザの期限が短く、まだまだ興味のある国はたくさんあったけど、なくなく予定通り南米へ!

まずは大好きなメキシコ!前回行った時に行けなかった、チアパス州とオワハカ州へ!たくさんの出会いとメキシコの自然に圧倒されて、やっぱりメキシコは大好き。

その後、ずっと行きたかったコロンビアへ。フランスで旅していた時に出会ったコロンビア人に会いに行ったら、COVID-19のため国境閉鎖。1ヶ月の外出禁止を経験し、なくなく帰国を決意する。

 

日本に帰国したのは、2020年5月の出来事。